OMAS Paragon

 「文明商社」といういかにも古そうな名前の万年筆専門店が京都にある。創業は90年以上前の老舗である。私は父に連れられて初めてその店に行った。その当時は、まだ高校にも上がっておらず、万年筆に特に興味があった訳ではなかったので、父の万年筆購入にただ付き合わされただけのことだった。しかし、その時、父は「この万年筆屋さんが京都で一番有名な店や」と、店の主人と私のどちらに言っているのか分からない風情で少し自慢気に語ったことを覚えている。店の印象は、街角のごく普通の「文房具店」だった。失礼ながら、安価なボールペンや鉛筆が所狭しと陳列され、高級感は感じられなかった。(父が自慢気に言ったことを疑った訳では毛頭なかったが。)

 父は確かパイロットの万年筆を購入したと思う。興味がなかった私は、何故一本を購入するのに、ああだこうだと店の主人と話しているのか理解できなかった。購入した万年筆を包装し終えた店の主人がそれを父に渡すと、私が少し退屈しているのを知ってか、そそくさと店を出て、そのまま家に帰った。夕暮れ時のことだった。

 文明商社を私が二度目に訪れたのは、それから20年ほど経ってのこと。ふと父の言葉を思い出して、万年筆に興味を持ち、蒐集らしきことを始めていた私は、何を買う目当てもなく、店を訪ねた。
 店の印象は変わっていなかった。愛想の良い女将さんが、「何をお探しですか」と訪ねてくれたので、万年筆に興味があることを告げると、「こんなんも最近入りました」と次から次へと他店では見られない珍しい高級万年筆を新旧関係なく出してきてはその万年筆について説明してくれる。
 その中で一本、私の目を引いたのがオマス・パラゴンだった。この万年筆は少し前から知っていたが、実物を見たのは始めてだった。今思えば、すでに製造中止になっていたのかもしれない。残念ながら、その時は持合わせがなく買うことができなかった。第一、そんなつもりで店に入ったのではなかった。一通り、万年筆を観賞させてもらって、その時は、「いつか、このオマスを戴きにあがります。」と言って店を出た。

 それから7年ほどが経って、あることがきっかけでどうしてもあのオマス・パラゴンが欲しくなった。インターネットで探してみると、どの店も完売だった。もちろん、買うなら文明商社でと思っていたが、まだあるかどうか。
 2008年12月に三度、文明商社を訪れた。パラゴンはまだ、ショーケースにあった。「売れへんし、メーカーがこの万年筆を返して欲しいって言わはるから、もう返そうと思ってましてん。」と女将さんが言う。あと、一ヶ月遅ければ、この万年筆は一生私の手には入らなかったかもしれない。女将さんは、「書いてみはりますか」と気軽にパイロットのブルーインクを出してくれた。言葉に甘えて、試し書きをしてみた。
 まず、驚いたのはボディの軽さだった。(ベジタブルレジンという特殊な素材)次いで、驚いたのは、切れるような書き味だった。今までに経験したこのないペン先の感触である。18金の柔らかな腰なのにペン先を弛まさずともしっかり紙の表面を捉えてインクを沁み込ませてくれる。日本刀のような鋭い刃物が力を入れずとも紙を切るような感じだ。私はすっかりこの万年筆に魅了されてしまった。

 女将さんにそのことを伝えると、箱を奥から出してきて、「このとおり箱も汚れてるし、千円まけときます。」と売り出された当時の値段からまだ値引きしてくれた。倍の値段でも売れただろうにと後で思ったが、そのときは素直に女将さんの言葉に甘えた。
 それから今まで使っているが、機構上何の問題もない。ただ、女将さんがこの万年筆をきっと長年磨き続けてきたから、キャップリングの雷文が少し掠れている。それもまた、この万年筆が、長年ショーケースに入っていて女将さんがせっせと磨いていた為だと思うと、奇跡的に残っていて私の手に入ったことの証のように思われて愛おしい。


ペン先の装飾も手製らしい。





  OMAS Paragon
  字幅:M ペン先:18金 ペン芯:エボナイト
  ボディー:ベジタブルレジン 12面体 ピストン吸入式
  キャップを尻軸に差すとモンブラン149より長く、インクタンクも149より
  大きいので沢山のインクが入る。

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