京の夜

  ー 夜の鴨川 −

 祇園祭の山鉾巡行も終わり、落着きを取り戻した京都。やはり、この静けさが良い。夜の宮川町もしっとりとした静寂の中に、美しく澄んだ三味の音が聞こえて来る。鴨川も見慣れた流れになって、川面に映る灯が綺麗だ。夜の帳が下りると昼間には見えなかった風景が人々の目を魅了する。

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「京の夜」と呼ぶに相応しいところを、カメラに収めた。



     − 京の花街 −

 京都には、6つの花街がある。上七軒、祇園甲部、祇園東、嶋原、先斗町と宮川町だ。いわゆる京都の六花街と呼ばれる所だ。嶋原以外の京都花街組合連合会に加盟している5つを総称して五花街と呼ぶこともある。しかし、京都で一般には、祇園甲部、上七軒、宮川町の順で知られており、「京の花街は3つある」と思われている。
 事実、他の3箇所は花街とは言えない向きがある。嶋原は、江戸の吉原と比較される遊郭だった。江戸時代には現在の東本願寺の北辺りにあった廓(くるわ)が1641年(寛永18年)に現在のJR丹波口、中央卸売市場近くに移転された。「島原太夫」(漢字が違う)は有名で、今も嶋原には芸妓や舞妓が行き来するので、関係者は遊郭と思われるのを嫌がり、花街と呼んでいる。しかし、やはり遊郭のイメージは払拭できずにいると私は思う。

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 忠臣蔵で有名な大石内蔵助が山科から通った2つの遊郭、「橦木町」と「一力」も有名だ。「橦木町」はその痕跡を石柱の碑に残すだけになり、「一力」の方は、現在、京都で最も格式の高いお茶屋(芸妓を呼んで遊ぶ店)の一つとして知られている。ちなみに、私の住む京都の墨染は橦木町に近い。私が小さな頃は昔の遊郭の跡が多く残っていた。

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 先斗町は、「ぽんとちょう」という読み方が京都らしいが、今はかつてのお茶屋が町屋風カフェやダイニングに変わり、かつての風情はなくなっている。少なくとも20年前までは、花街と呼ぶに相応しい風情があった。今や若者の歓楽街に成り下がっていると思う。確かに、数件の店には芸妓や舞妓が今も出入りはするが。稲荷大社や清水寺が観光地になってしまったのと同じ巡り合わせを辿っている。
 花街の話になれば切りがないので、ここまでに留める。また、京都の地名についても別の機会に紹介したい。
 さて、結論から言えば、私は宮川町が一番好きだ。祇園が観光地になり、せっかく風情のあるお茶屋さんも、観光客の多さと派手な服装で、先斗町と同じ運命を辿るのではないかと危惧する。しかし、先斗町と違うのは町屋を改造して入る店が違うことだ。ライカ京都店やHUBLOT(ウブロ、スイスの高級腕時計)京都店などが、その象徴的存在だ。入っても値段を見た途端に店を出る人が多い。格式だけは守られると期待している。

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 縷々綿々と書いてきたが、宮川町は今も、昔の祇園や先斗町、上七軒の風情をそのままに、昔ながらの花街らしい。石畳の路地のような道の両側にしっとりとしたお茶屋さんや料亭が並んでいる。観光客も何故かここでは見ない。ほっとする京都の町通りだ。



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